
ひとつは、「一切苦悩を説くに愛を根本と為す」と『涅槃経』にあるように、「愛」は迷いやむさぼりの根源となる悪の心のはたらきをいいます。「愛」のサンスクリット語「トリシュナー」の意味は「渇き」です。のどが渇いたときに水を欲しがるような本能的な欲望で、むさぼり執着する根本的な煩悩を指します。
もうひとつは、このような煩悩に汚された愛ではなく、「和顔愛語」(わげんあいごう)のように、けがれていない愛も説かれています。仏・菩薩が衆生を哀憐する法愛のことで、たいてい「慈悲」の意味を持ちます。
さて、愛には二面性がつきもの。互いを慈しむ愛を育んでいきたいものですね。

「和顔」はやわらかな顔、「愛語」はやさしい言葉。和顔愛語とは和やかで温和な顔つきや言葉つき。穏やかで、親しみやすい振る舞いのことを意味します。
この言葉は「無量寿経」に出てきます。法蔵菩薩が阿弥陀仏になるために修行に励んでいるところで、嘘、偽りがなく常に人々に対して「和顔愛語にして、意を先にして承問す」とあり、現代語版では「表情はやわらかく、言葉はやさしく、相手の心をくみ取ってよく受け入れる」と訳されています。
常に心がけていたい言葉ですね。
よく人ととの出会いには縁がある、なんて言いますが、この「縁」も仏教語です。すべてのものには、必ずそれを生んだ因と縁とがあり、それが因縁生起=縁起というのです。「阿合経」に「これある故にかれあり、これ起こる故にかれ起こる、これ無き故にかれ無く、これ滅する故にかれ滅す」とあります。日常、よく「縁起が良い、悪い」と言いますが、本来は他の多くのものの力、恵み、おかげを受けて私たちは生かされているという仏教の基本的な教えなのです。
人生には入学式や入社式など色々なスタートがあります。結婚も大きなスタートのひとつ。新鮮な気持ちを大切に初心を忘れずに毎日を積み重ねていきたいですね。
「初心」とは仏教の「初発心」から来た言葉です。『華厳経』には、「初発心の時、すなわち正覚を成ず」とあります。仏道修行にあって、初めて入門することを決意したその時に、すでにそのゴールであるお悟りは成就するのだ、という意味です。初心の大切さを説いた言葉です。
初心を忘れずに幸せをつかみたいものですね。
「初心」とは仏教の「初発心」から来た言葉です。『華厳経』には、「初発心の時、すなわち正覚を成ず」とあります。仏道修行にあって、初めて入門することを決意したその時に、すでにそのゴールであるお悟りは成就するのだ、という意味です。初心の大切さを説いた言葉です。
初心を忘れずに幸せをつかみたいものですね。
ダンナ様、と言えば主人のこと、夫のことを指しますよね。これも意外や意外、実は仏教語なんです。
サンスクリット語の「ダーナ」を漢字にするとき、音で「旦那」意味で「布施」と訳したところからはじまります。旦那と布施は同じ「施し」という意味で、旦那はやがて布施をする人を指すようになりました。
法施をする寺を「檀那寺」、財施をする家を「檀家」と呼ぶことを思い出すとなんとなくしっくりいくのではないでしょうか。次第に檀那は日常的に使われるようになり、金銭や物品を施してくれる人を誰でも「ダンナ」と呼ぶようになったのです。
ダンナ様。深い意味を持っていたんですね。
サンスクリット語の「ダーナ」を漢字にするとき、音で「旦那」意味で「布施」と訳したところからはじまります。旦那と布施は同じ「施し」という意味で、旦那はやがて布施をする人を指すようになりました。
法施をする寺を「檀那寺」、財施をする家を「檀家」と呼ぶことを思い出すとなんとなくしっくりいくのではないでしょうか。次第に檀那は日常的に使われるようになり、金銭や物品を施してくれる人を誰でも「ダンナ」と呼ぶようになったのです。
ダンナ様。深い意味を持っていたんですね。
